カレンダーをめくると、今年もあと1枚分となりました。
早い‥‥
それしか言いようがない
子どもの頃は1年なんて長くてたまらなかったけど、
大人になると、体感的に、半年くらい。
どんなに説明されても、どんな仮説を持ってきても、
年々、時間が短くなっているように感じることは間違いない
旦那さんは、先週、病院に行き、「入院する?」と打診をされました。
今日は前回の検査の結果を聞きに再び病院へ。
話に出てきたのはもっぱら
「最期の時間の過ごし方」
についてだったらしい。
私もこの1週間でいろいろと考えました。
私は、やさしさがおちょこ分しかない人間です。
お相撲さんが優勝した時のお酒を飲む大盃のように
やさしさがあふれている人もいます。
私はほんの少ししかやさしさがないので、
たくさんの人にやさしくするのはムリなのだと悟りました。
そして、限られたやさしさなら、
そのやさしさを与えたい人に与えようと思いました。
誰にでも、やさしくする必要なんてないのです。
自分がやさしさを与えたいと思った人にだけ与えればいいのです。
例えば、
母親が弁当を持っているとします。
子どもが欲しがれば、すべてを与えるでしょう。
でも、これが赤の他人だったら?
自分の食べる分がなくなり、
自分は空腹で過ごさなくてはなりません。
感謝をしてくれる人もいるでしょう。
しかし、大抵は、そこまで思っていません。
自己満足で自分はいいことをしたのだと思うことしか残りません。
だったら、納得のいく、偽善ではないやさしさの使いかたをしたほうが、
自分自身が幸せになるのではないのでしょうか?
与えたいと思える人に、たくさん与える。
人はそれを「愛」と呼ぶのだと思うのです。
旦那さんは、こんな私を見捨てることなく、
ずっといつもそばにいてくれました。
あと、どのくらい一緒にいられるかわからない
車で出かけることができなくなっても
電車に乗ることができなくなっても
近所の公園に行くことができなくなっても
そんなことはどうでもいいのです。
そばにいて、笑ってくれればそれが一番うれしいのです。
その笑顔のために、私は自分のやさしさを使うことに決めたのです。
正しいやさしさの使い方がやっとみつかったのです。
実行して、自分も幸せになるのです。
時間はどんな時も常に、有限なのです。
迷っている場合ではないのです。
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